「坂村真民一日一言」より【 メルマガ vol.237 】小倉広 苦行僧、辞めます。

「坂村真民一日一言」より【 メルマガ vol.237 】小倉広 苦行僧、辞めます。

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小倉広 苦行僧、辞めます。「坂村真民一日一言」6月25日「声」より

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平成28年度人間塾の第一回、一月度の課題図書は詩人・坂村真民さんの「一日一言」であった。

→ 人間力を高め生き方を学ぶ・月1回開催参加費無料の読書会「人間塾」東京・関西・名古屋

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その中の一遍、「声」という詩が私の胸を打った。

~ 声 ~

生きていることは

すばらしいぞ

そういっている

石がある

木がある

川辺に立つと

水も

そういって

流れてゆく

「坂村真民一日一言」(致知出版社)より引用

本は読む人の心を表している。どの本を読むのか?本のどこに胸を打たれるのか?

それは、本から来るのではない。それは、読む人の心を表している。

本は読む人を試している。同じ本から深く学ぶか?浅く受け取り何も学ばないか?それは、読む人の力量次第だ。

読む人の力量が低ければ、本から多くを学ぶことはできない。逆に力量がある人は、多くを学び、多くに気づく。

今の私は先にあげた「声」という生命賛歌の、みずみずしさを受け取ることができるようになった。つい一年前の私であるならば、この人生賛歌を素直に受け取ることができなかったであろう。まさに、この一遍を選んだということは、私の内面の変化を表しているのだ。

これまで、私は「苦しむ」ことがアイデンティティーであった。アドラー心理学の分類でいえばエキサイトメント・シーカー(興奮探し)にあたる私は、人生をジェット・コースター、山あり谷ありのドラマとして捉える捉える傾向が強い。だから、私自身、自分の人生をそのように捉えていたし、その結果、そのような人生を自ら選んでいった。その顕著なテーマが「喪失と再生」であり「苦難と再起」であったのだろう。

私は、不得手であったマネジメント業、管理職業をなぜか自ら進んで20年間もやり、ことごとく失敗し、人を傷つけ、自分も傷ついた。2度のうつ病になり、なんとか立ち上がってきた。それも私が自ら無自覚に選んできた人生だ。

そして、その経験を本に書き、講演で話し続けた。おかげ様で、その赤裸々に失敗を語る私の姿がそのまま私のアイデンティティーとなった。小倉広と言えば「失敗」。「失敗」と言えば小倉広。そんな風にアイデンティティーになっていったのである。

しかし、私はそのアイデンティティーに縛られてきた。つまり、私は「苦しまなければ」私ではなくなってしまったのである。

私の本やメルマガを読んだ読者は私を「修行僧」と呼んだ。そして、その苦しみを抜け出すために始めたこの人間塾・塾長という肩書きがさらに私を縛っていった。

「人間力を高める」塾の塾長である。さぞや立派な人間に違いない。そう思われることに縛られて、立派な人間を演じるようになっていった。もしくは、立派になりきれずに苦悩する苦行僧であろうとした。そして、それがさらに私を苦しめていった。

なぜならば、私は、もう「苦しく」なかったからである。

さんざん苦しみ、考え、悩み、もがいているうちに、いくつかの真理の道筋に気がついた。たとえ到達はできていなくても、少なくても間違った方向に進まなくはなった。「こっちに行けば間違いない」そんな出口の光がほんのりと常に見えるようになったのである。もちろん、間違った道に行くことだってある。でも、以前よりも早く気づくようになった。この道は違う。こっちに行けばいい。方向感だけは間違わなくなったのである。

恐れ、不安、苦しみ。それは出口が見えない時に味わう感情だ。たとえ出口に到達していなくても。行く先にほんのりであっても希望の光さえ見えれば、人は心に安らぎが訪れる。私はそう思っている。これまでさんざん苦しみ、悩み、試行錯誤してきた私は、そんなわけで、希望の光だけは見つけるのが上手になっていった。相変わらず、出口にたどり着くことはまだできていないのだけれど。

そんなこんなで、私はあまり苦しみを感じなくなってきた。そして、焦った。「苦しみ」を感じない自分自身に罪の意識を感じた。私が「幸せ」であってはいけない。修行もせずに人生を謳歌してはいけない。知らず知らずのうちにそう思っていたのである。しかし、私の魂が「それは嘘だ」と叫んでいた。

だから、私は「苦しむ」のをやめることにした。もう、苦しまなくてもいいんだよ、と自分に語りかけたのだ。

幸せになってもいい。楽しんでもいい。遊んだっていい。

小倉広が小倉広としてそのままでいること。それが本を読んでくれる読者や講演を聴いてくれる誰かを楽にし、幸せな気持ちにさせる。それでいいじゃないか。そう思えるようになったのだ。

だから、私は、坂村真民先生の詩集から苦しみの歌を選ばなかった。心に響かなかったからだ。努力や精進の歌も選ばなかった。心に響かなかったからだ。そして、幸せを歌う人生賛歌を選んだ。目に、心にドスン!と飛び込んで来たからだ。

2016年の私は小倉広オフィシャル・ブログを立ち上げることからスタートした。人生初めてとなる、このブログには、これまでの修行僧的なコラムはごくわずかで、小倉広が人生を謳歌し、日々の日常を慈しみ、鎌倉の街や家族を愛している様が隠すことなく書かれていることだろう。

→ 小倉広オフィシャル・ブログ

それがこれからの私のアイデンティティーだ。

苦しむこと。修行僧であることが私のアイデンティティーなのではなく。

私が私らしくあること。私が人生を謳歌し、幸せであり、人生を楽しんでいること。これが執筆家・小倉広の新しいアイデンティティーだ。

小倉広が発するすべての言葉がコラムやエッセーとなり、人々の心を揺さぶる。

これが私の現時点でのアイデンティティーだ。命を使って行う使命であり、神様からの封書の中身だ。

もちろん、これからだって、たくさん道を誤るし、辛いことにも出会うだろう。しかし、それも含めてきっと私はそれを楽しむであろう。なぜならば、私には常に進むべき方向性と希望の光が見えるからだ。そして、不完全である私を私は愛している。だから、何があっても、どんなことがあっても、私は幸せなのだ。

どんどん幸せになろう。人生を謳歌しよう。

本当はこんなこと、宣言しなくてもいいことなのだけれど。

坂村真民先生が詩で表現せざるをえなかったように、私はこのような文章でしか私を表現できない。だから、こうして書き続けるだろう。これからも。

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