なぜ僕はキャンプで手抜き料理を作るのか?
お友達とキャンプに行ったら告白された。
「ヒロさんのことだから、相当、本格派の料理を作るんだろうな。時間がかかるのを覚悟しよう、と思ってたんです」
ところが僕が冷凍食品を温めるだけ、とか、焼くだけ、のばかりを作るものだから拍子抜けしたのだという。
ちなみに作った料理はこれだ。
【 晩ご飯 】
・パン屋さんのピザパンをホットサンドメイカーで両面焼いただけ
・既製品のシューマイをホットサンドメイカーで両面焼いただけ
・冷凍食品のブイヤベース温めただけ
・冷凍食品のクラムチャウダー温めただけ
・サーロインステーキ炭火で焼いただけ
・焼き椎茸、焼きアスパラ醤油かけただけ
・セブンイレブンのチリコンミートととろけるチーズを食パンで挟んでホットサンドメイカーで焼いただけ
【 朝ごはん 】
・野菜と豚肉を鍋に入れてほうとう煮ただけ
【 昼ごはん 】
・鍋に冷凍ミックスシーフード入れてオリーブオイルで炒めて白ワイン入れて、下茹でなしのスパゲティ半分に折って入れただけ。五分で完成のパスタパエジャ
どれも一品五分程度。
徹底的な手抜き飯だ。
しかも、うまい。
一方で手抜きしないところもある。
朝のコーヒーはわざわざ豆を挽き、湯の湧くのが遅いアルコールストーブで沸かす。
焚き火に使う薪は、広葉樹と針葉樹に分け、針葉樹を焚きつけ用に細かく斧と鉈で割る。
手間を惜しまないのだ。
では、手抜きとこだわりの両極端はどのように使い分けているのだろう。
少し考えてわかった。
作業そのものが楽しいか、得られる成果が楽しいか、いずれか?だ。
料理について考えてみよう。
僕が得たいのは結果としてのおいしさか、手間暇のプロセスか、どちらだろうか。
明らかに前者。おいしさだ。
では、焚き火は?
言わずもがな。焚き火は暖かさという結果を得るためにするのではない。
手間暇を楽しむためにやるのだ。
暖かさだけを得るのであれば、夏の焚き火は意味がない。
冬ならばストーブで事足りる。
つまり、キャンプでの手抜きの基準は、結果はいざ知らず、プロセスを楽しめるかどうか、に集約されるだろう。
これって、仕事選びにも通底するな、と思った。
仕事の成果である、給料がほしいのであれば、手間暇を惜しむだろう。
仕事のプロセス自体が楽しいのであれば、手間暇を楽しむだろう。
ありがたいことに僕は仕事のプロセスも結果も楽しんでいる。
顧客から依頼されていないのに、毎日のようにテキストをアップデートする。
テキストや研修作りのためだけであれば、今更学ぶ必要はない。
しかし、僕は憑き物に憑かれたようにセミナーに参加しまくっている。
そうか。
僕にとって、仕事は焚き火なんだ。
そんなことを考えながら薪をくべて焚き火をしていた。
変な奴なのだ。
以上