人類70億人、全員ネガティブ

人類70億人、全員ネガティブ

攻めに強いが、守りに弱い。

相変わらず研修アンケートで凹んだり、Amazonレビューを見て眠れなくなる。

95%はポジティブなのに、たった数%のネガティブコメントに強く反応してしまうからだ。

まぁ、僕に限らず人間は皆ネガティブに注目する。

人類70億人、全員ネガティブなのだ。

20万年前にホモサピエンスすなわち僕たちの祖先が生まれ、現代まで生き延びたのは、ネガティブだったからだ。

できごとのポジティブな側面ではなくネガティブな側面、すなわち危険を探し出し、それに対処する。

猛獣に襲われないように。

崖崩れから転げ落ちないように。

冬の寒さを生き延びるために。

僕たちは四六時中危険に備えて、危険を探して対処することで生き延びてきた。

対人関係でもそれは同じだ。

初対面の人の表情を見て、ゼロコンマ何秒かで相手の悪い点を見つけて危険に備える。

怖そうな表情。

目が泳いでいないか。

頬に力が入っていないか。

そして些細なネガティブな面を見つけては、攻撃に備えて防御を固める。

そうやって、僕たちの祖先は20万年間生き延びてきた。

ネガティブであったからこそ、生き残れたのだ。

しかし、現在、僕たちを脅かす生命の危機は極端に減った。

ホモサピエンスの時代と比べたならば、その危機は限りなくゼロに近いだろう。

にもかかわらず僕たちは、警戒を緩めない。

この人は悪い人ではないか。

攻撃されるのではないか。

常にネガティブセンサー全開で人と接しているのだ。

もちろん、僕もその一人。

何百、何千名のアンケートを毎週のように見ながら、ほんのわずか数%のネガティブコメントだけにびびっと反応してしまう。

しかし、そろそろこれをやめたいな、と思う。

ポジティブへの注目(アドラー心理学では正の注目 Positive Attention)をしていきたいな、と思うのだ。

僕たちが、本能に逆らってポジティブでいるために必要なのは、強い意思と繰り返し行うトレーニングだ。

僕は、研修でそう伝えている。

しかし、もう一つ策はある。

それは、強い信念を持つことだ。

ネガティブなコメントにひるむのは、自分が社会に貢献できていないのではないか、という不安が襲ってくるからだ。

僕たちは、他者、社会に貢献できていると実感するときにだけ勇気が持てる。

少数なネガティブコメントに揺らぐのは、この社会に貢献している、という強い信念が持てていないから、とも言えるだろう。

これまで、誰もやったことがない、カウンセリング型1 on 1を大企業に広めるというミッションを僕は毎日自分に課し、その場をいただいている。

しかし、受講者にはそれを「くだらない」「無用だ」と感じる人がいる。

それは、ごくごく当たり前のことだ。

部下の相談や悩みに対して、これまで上司は指示命令や助言で答えてきた。

できごとを抽象化、一般化し、その構造を捉え、論理的に解決策を考え、その場で指導、助言をして解決する。

そこに感情はない。

カウンセリング型1 on 1のその逆だ。

できごとを抽象化せず、エピソードに転換し具体化していく。

構造を捉えず、コンテンツとコンテキストをそのまま再現する。

論理的にではなく情緒的に、ハートとフェルトセンスを使って感情を感じきる。

解決策を一切考えずに、ただ共感する。

指導、助言を一切しない。

それを「無駄だ」「くだらない」という人は居て当然だ。

だから、ネガティブなコメントはあって当然だ。

その言葉に反応している僕は、まだまだ信念が浅いのだ。

そして、自己防衛が強すぎるのだ。

心理学でいうところのビッグファイブ(因子)の「情緒安定性」が低い僕なので、仕方ないといえるかもしれない。 

しかし、今回の件で言うならば、ポジティブな95%のアンケートに注目するトレーニングをし、信念をもっと深めていきたい。

僕の言葉を待ってくれている大切な人を置き去りにして、ネガティブ反応に奔走されず。

僕の言葉で救われるであろうたくさんの人を放ったらかしにして、自己防衛を優先しすぎないように。

だって、そもそも、コメントのほとんどは絶賛に近い、ポジティブなものなのだから。

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