カインドオブブルー/マイルスデイビス スタミナ定食、ニシンの塩焼き定食と

カインドオブブルー/マイルスデイビス スタミナ定食、ニシンの塩焼き定食と

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渋い大人になりたかった。

それならば、ジャズと映画だ。渋い大人は必ずジャズと映画を語れるに違いない。大学一年の僕は、根拠なくそう思っていた。

新潟から東京へ出てきて4ヶ月。僕は京王線と井の頭線が交差する、渋谷と新宿からそれぞれ10分の明大前に住んでいた。駅から徒歩12分、風呂なし、エアコンなし家賃3万5千円のボロアパートである。

唯一の楽しみは、銭湯帰りに寄る学生向けの定食屋とレンタルレコード(CDではない)屋だった。

定食屋での定番と言えば、にんにくががっつり入った、脂身だらけの安い豚の細切れでつくるスタミナ焼き定食と、大きさでは他の魚に決して負けない巨大なにしんの塩焼き定食だった。

そこにビールを足すかどうか、が大問題だった。財布に二千円以上あればビールを頼む。なければ水で我慢する。おばちゃんが厨房のおっちゃんに伝えるだみ声を今でも覚えている。「スーターミーナーいっちょおうー」「にーしーんー」無表情のおばちゃんが、やけに大きな声を張り上げていた。食堂では、いつもテレビがついていた。

で、ジャズだ。

僕は渋い大人になりたくて仕方がなかった。でも、ジャズなんてこれまで聴いたこともない。好きなアーティストもいない。トランペットとテナーサックスの違いもわからない。そんな調子だった。

僕はまるで、広大な砂漠にぽつんと一人取り残されたような気分だった。いったい、どっちの方角に向かえばいいのか?どこまで歩けばたどりつけるのか?皆目見当もつかなかったのだ。

だから、僕はレンタルレコード屋に行っても、なじみが深いロックやポップスばかり聴いていた。ニック・カーショウとかアズテック・カメラとかエルビス・コステロとか。そして、借りてきたLPレコードを手に、定食屋でスタミナ定食かにしんの塩焼き定食を食べるのだった。

ある夏の暑い暑い日。明大前駅は地面からの照り返しで焦げるような暑さだった。試験が終わり、やることのない僕は喫茶店に逃げ込むお金もなかったので、とりあえずレンタルレコード屋に駆け込んだ。熱風から逃れるのが目的。エアコンの風に当たるためにとりあえず逃げ込んだのだ。

そこで、このアルバムに偶然出会った。その時、店で偶然、このアルバムがかけられていたのである。何の曲か?誰が演奏しているかもわからない。しかし、そのアルバムは、それまで聴いたどんなジャンルの音楽とも違った。そして、何よりも僕のイメージしていた大人の渋いジャズそのものだった。いや、想像を超えていた。とにかく、かっこよかった。例えようもなくかっこよかった。

もしかしたら、ギンギンに冷えていたエアコンの風のせいかもしれないけれど、僕は背筋がゾクゾクと寒くなった。そして、レンタルレコード屋の店長さんに尋ねた。「これは何というアルバムですか?」と。

「カインド・オブ・ブルー。マイルス・デイビスです」

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僕はそのまま、そのレコードをターンテーブルから外してもらい、家へと持ち帰り、少し値段が高いマクセルのクロームテープにダビングをした。そして、少しでも音の良いLPレコードで何度も聴いた。どの曲を聴いても、鳥肌が立った。エアコンのない蒸し暑い六畳間で、扇風機がブーンと回っている。僕はビールを買う金がなかったので、水道水に浸す水出しパックでいれた麦茶を飲みながら、ばかみたいに、繰り返し何度もレコードに針を落とした。これが、僕の幸運なジャズとの初めての出会いである。

僕は、後に知ることとなる。このアルバムこそがジャズの歴史を変えた、そして、全世界で1,000万枚ものセールスを記録した、モードジャズの完成形であることを。そして、このアルバムで何曲かの作曲をし、氷のように冷たく、繊細で、壊れてしまいそうなガラスのようなピアノを弾くジャズメンこそが、後に僕のフェイバリットとなるビルエバンスであることを。

それから、僕の時代遅れのジャズ喫茶通いが始まった。大人への第一歩が始まった。

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